第三者委員会報告書 第2章 本件の経緯

第三者委員会報告書 第2章 第三者委員会

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当ページには、告発文書の内容の真偽を確認する「文書問題に関する第三者調査委員会」が2025/3/19に公表した調査報告書の、「第2章 本件の経緯 」について文字起こしを掲載しています。

当報告書の全容は、以下リンク先を参照ください。

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調査報告書(文字起こし) 第2章

第2章 本件の経緯

第1 齋藤知事当選後の組織体制の変革等

1 従前の兵庫県政

兵庫県においては、昭和37年に当選した金井元彦氏以来、旧自治省(現在は総務省)出身で兵庫県の副知事職を経験した者が知事に就任する例が4代、59年間続いた。

前任の井戸敏三氏(以下「井戸前知事」という。)も、旧自治省出身で、兵庫県副知事を経て、平成13年8月、兵庫県知事に就任した。そして、20年間、知事として県政を担当した。

2 齋藤知事の当選

齋藤知事は、令和3年7月、総務省出身で立候補するまで副知事であった金澤和夫氏(以下「金澤氏」という。)を含む4名の候補者を抑えて県知事選挙に当選し、同年8月1日、兵庫県知事に就任した。

3 齋藤知事当選後の組織体制と人事
(1) 新県政推進室の発足

齋藤知事は、当選後、令和3年8月10日、これまでの部とは異なる組織上の位置づけで新県政推進室を立ち上げた。その室長にはB(小橋)氏が、次長には、C(井ノ本)氏、D(原田)氏、E(有田)氏、F(守本)氏及びG(木村)氏(以下、上記6名については、いずれも氏のみで表記する。)が就任した。

(2) 人事異動

新県政推進室の主要メンバーは、令和3年8月、人事異動を受け、それぞれ県の下記の役職に就いた。G氏は、そのまま女性青少年局長の職を続けた。

  • ア B(小橋)氏 企画県民部長
  • イ C(井ノ本)氏 秘書広報室長
  • ウ D(原田)氏 企画県民部管理局長
  • エ E(有田)氏 企画県民部企画財政局長
  • オ F(守本)氏 企画県民部政策調整局長
(3) 片山元副知事の登用

齋藤知事は、令和3年9月、当時兵庫県信用保証協会の理事長の職にあった片山安孝氏(以下「片山元副知事」という。)を副知事に登用した。

(4) 令和4年4月の機構改革

兵庫県は、令和4年4月、それまでの5部制を12部制に組織変更した。
また、部長を補佐する職として次長を新設するとともに、各部に総務課を設置した。G(木村)氏は、上記の機構改革に伴い、県民生活部次長となった。

(5) 新県政推進室の廃止

新県政推進室は、令和5年3月31日、その役割を終えたとして、廃止された。

(6) コミュニケーションツールの導入

兵庫県では、令和5年4月、マイクロソフトのチームズを利用することとし、事象ごとにメンバーを決め、チャットで情報のやり取りをすることとした。

第2 本件文書の作成と配布

当時の元西播磨県民局長(以下「元西播磨県民局長」という。)は、本件文書を作成し、令和6年3月12日、兵庫県警察、兵庫県選出の国会議員、県会議員数名及び報道機関数社の合計10か所に対し、匿名でこれを配布した。

第3 本件文書に対する兵庫県の対応

1 齋藤知事の本件文書取得とその後の調査

齋藤知事は、令和6年3月20日、知人から本件文書の存在及び内容を知らされた。その後の片山元副知事と人事課の調査で、本件文書の作成者が元西播磨県民局長であることが判明した。

2 元西播磨県民局長に対する当座の処遇

元西播磨県民局長は当時60歳であり(定年は61歳)、令和6年3月31日付けでの退職を希望していた。しかし、本件文書を作成して配布したことが判明したため、兵庫県は、元局長の使用していた公用パソコンに残っていたデータの内容とその作成経緯等を踏まえ、懲戒処分を視野に入れた調査を行うため、同月27日付けで、退職を認めず、西播磨県民局長の職を解任して総務部付きとした。

同日、齋藤知事は、記者会見において、幹部職員人事について述べる際、本件文書の作成者として元西播磨県民局長を名指しし、「うそ八百」、「公務員失格」などと発言した。

この齋藤知事の発言をきっかけとして、マスコミがこの問題に注目するようになった。

3 内部公益通報

元西播磨県民局長は、令和6年4月4日、県の通報窓口に文書により内部公益通報を行った。その通報文書は、本調査委員会の調査によっても取得できなかったが、内容としては、公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構に関する項目を除き、本件文書とほぽ同じものであった。

4 懲戒処分を視野に入れた人事課調査

人事課では、本件文書内容の真偽を確認する調査を進めていたところ、上記内部公益通報がなされたことを認識し、調整のうえ、懲戒処分を令和6年5月7日に行うことになり、人事課は、そのスケジュールに従って調査を進め、懲戒処分の原案を作成した。

同月2日には、懲戒処分を審議するために綱紀委員会が開催された。

5 内部公益通報についての調査

内部公益通報を担当する財務部県政改革課では、「兵庫県職員公益通報制度実施要綱」に則って手続を行い、関係者への聞き取りなどの調査を進めていったが、調査の進捗状況について、人事課との間での情報共有はなかった。

6 懲戒処分

県は、令和6年5月7日、元西播磨県民局長を「停職3月」の懲戒処分にした。その処分理由は、①誹謗中傷文書(本件文書)の作成・配布行為、②人事データ専用端末の不正利用、③職務専念義務違反行為、④ハラスメント行為の4つであり、②から④の3つの理由は、引き上げた公用パソコン内のデータから判明したものであった。

7 本件百条委員会の動向

兵庫県議会は、令和6年6月13日、本件文書に記載された、齋藤知事のパワハラ疑惑などの事実調査をするため、文書問題調査特別委員会(本件百条委員会)を設置することとし、翌14日から同委員会の活動が開始された。

本件百条委員会は、その後、令和7年3月4日まで計18回開催された。同委員会では、調査方法として、県職員へのアンケートを実施するほか、本件文書関係者への公開・非公開の証人尋問を多数回実施するなどした。

その調査結果は公表され、令和7年3月5日に兵庫県議会に提出された。

8 内部公益通報の結果と県による改善措置

内部公益通報についての調査結果は、令和6年12月11日に公表された。その内容は、企業などからの贈答品の受領については、慣例で判断され、齋藤知事の意図しない受領につながったケースが確認されたとし、齋藤知事のパワハラ疑惑については、強く叱られた職員はいたが、パワハラの確証は得られずというものであった。そして、是正措置として、前者については、齋藤知事ら特別職も対象としたガイドラインの策定が、後者については、齋藤知事や幹部へのハラスメント研修の充実がそれぞれ提言された。

県では、改善策として、まず、県職員が公益通報できる外部窓口を同月16日から県内の弁護士事務所に置くことにしたほか、上記提言を受けて、物品受領ルールの明確化(財務規則の改正とガイドラインの策定)や、組織マネジメントカ向上特別研修の実施などの改善策をとることにした。

第4 本件文書の主要な関係者の略歴等

本件文書に関連する主要な人物の経歴は、以下のとおりである。

1 齋藤知事 神戸市出身
  • 平成14年4月 総務省に入省 新潟県佐渡市出向、福島県飯館村にも派遣等
  • 平成25年7月 宮城県へ出向し、総務部市町村課長に就任
  • 平成26年4月 宮城県財政課長に就任
  • 平成28年4月 総務省に復任し、自治税務局都道府県税課課長補佐に就任
  • 平成29年7月 総務省自治税務局都道府県税課理事官に就任
  • 平成30年4月 大阪府へ出向し、財務部財政課長に就任
  • 令和3年3月 大阪府・総務省を退職
  • 令和3年8月 兵庫県知事選挙に当選し兵庫県知事に就任
  • 令和6年9月 兵庫県議会の行った不信任決議を受けて失職
  • 令和6年11月 兵庫県県知事選挙に当選し再選
2 片山元副知事
  • 昭和58年4月 兵庫県に入庁
  • 平成21年4月 企画県民部人事課長に就任
  • 平成24年4月 企画県民部管理局長に就任
  • 平成27年4月 西播磨県民局長に就任
  • 平成28年4月 産業労働部長に就任
  • 平成31年4月 公営企業管理者に就任
  • 令和3年3月 兵庫県を退職
  • 令和3年4月 兵庫県信用保証協会の理事長に就任
  • 令和3年9月 兵庫県信用保証協会の理事長を退任し、特別職である兵庫県副知事に就任
  • 令和6年7月 兵庫県副知事を辞職
3 B(小橋)氏
  • 昭和62年4月 兵庫県に入庁
  • 平成23年4月 総務事務官に採用(同年3月に兵庫県職員を依願免職)
  • 平成25年4月 兵庫県職員に再任命(同年3月に総務事務官を辞職) 企画県民部管理局人事課長に就任
  • 平成27年4月 教育委員会へ出向し、教育次長兼危機管理員に就任
  • 平成29年4月 企画県民部管理局長兼危機管理員に就任
  • 平成30年4月 企画県民部参事に兼補
  • 平成31年4月 中播磨県民センター長に就任
  • 令和3年8月 新県政推進室長を併任し、企画県民部長に就任
  • 令和4年4月 県の機構改革(それまでの5部制を12部制としたもの)に伴い、総務部長に就任
  • 令和6年4月 理事に就任
  • 令和6年8月 総務部付
4 C(井ノ本)氏
  • 平成4年4月 兵庫県に入庁
  • 平成19年4月 企画管理部管理局人事課主査
  • 平成21年4月 中播磨県民局総務室地域企画課ビジョン専門官
  • 平成23年4月 企画県民部管理局人事課考査係長に就任
  • 平成24年4月 企画県民部管理局人事課課長補佐兼調査係長に就任
  • 平成26年4月 企画県民部管理局人事課定員給与班長に就任
  • 平成27年4月 企画県民部地域創生課企画官に就任
  • 平成30年4月 企画県民部地域創生局地城創生課長兼専門職大学準備室専門職大学準備課参事に就任
  • 令和2年4月 農政環境部農政企画局総務課長兼人事管理員に就任
  • 令和3年4月 兵庫県企画県民局地域創生局長に就任
  • 令和3年8月 新県政推進室次長に併任、秘書広報室長に就任
  • 令和5年4月 県民生活部長に就任
  • 令和6年4月 総務部長に就任
  • 令和6年8月 総務部付
5 D(原田)氏
  • 平成4年4月 兵庫県に入庁
  • 平成23年4月 企画県民部管理局人事課調査係長に就任
  • 平成24年4月 企画県民部管理局人事課課長補佐兼公務員制度係長に就任
  • 平成25年4月 企画県民部管理局人事課課長補佐兼人事係長に就任
  • 平成26年4月 病院局へ出向し、管理課副課長に就任
  • 平成29年4月 産業労働部政策労働局産業政策課副課長兼総務班長に就任
  • 平成30年4月 産業労働部産業振興局経営商業課長に就任
  • 平成31年4月 病院局へ出向し、管理課長兼健康福祉部健康局医務課参事に就任
  • 令和3年8月 新県政推進室次長に併任、企画県民部管理局長に就任
  • 令和4年4月 県の機構改革に伴い、総務部職員局長に就任
  • 令和5年4月 産業労働部長に就任
6 H(三宅)氏(以下「H(三宅)氏」という。)
  • 平成8年4月 兵庫県に入庁
  • 平成23年4月 企画県民部企画財政局資金公債室係長に就任
  • 平成24年4月 企画県民部企画財政局資金財産室係長に就任
  • 平成25年4月 企画県民部企画財政局財政課係長に就任
  • 平成26年4月 企画県民部企画財政局財政課主幹に就任
  • 平成29年4月 北播磨県民局県民交流室長補佐兼県民交流課長に就任
  • 令和2年4月 病院局へ出向し、病院局企画課副課長に就任
  • 令和2年7月 健康福祉部感染症等対策室感染症対策課主幹に兼補
  • 令和4年4月 企画部万博推進課長に就任
  • 令和5年4月 企画部万博推進局長に就任
7 元西播磨県民局長(本件文書の作成者)
  • 昭和62年4月 兵庫県に入庁
  • 平成27年4月 企画県民部管理局人事課長に就任
  • 平成31年4月 企画県民部管理局長に就任
  • 令和3年4月 西播磨県民局長に就任
  • 令和6年3月 3月末で退職することを希望していたが、認められず、同月27日、西播磨県民局長の職を解かれ、総務部付
  • 令和6年7月7日死亡

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